桶狭間前夜:桶狭間合戦考之四

 
 
今川義元が京を目指し西へ進んだのは天下人になる為の野望があったからだ。
なぜなら、下克上の時代、実力があれば更に上へ上へと望める。
城を持ては国を望み、国を持てば天下を望む。
…というのが、古来の戦国大名のイメージでした。
 
昨今では、戦後大名は天下の事は念頭に無かった…と考えるのが一般的になりつつある。
自分の領地を守り、そして広げることに専念した。
従って今川義元も天下を望んだのではない。
北条・武田と同盟を結び、領地を広げるの西しかない。だから尾張を攻めただけ。
 
とは言うものの、これも憶測に過ぎない。
「誰もが天下を望んだのではない」という事が成り立つ以上
「誰もが天下を望まなかった訳ではない」という事も成り立つ。
現に天下を望んだ者・・・織田信長がいたのだから。
織田信長も(…一応、天下人と分類されるが)天下を手に入れる前に倒れた。
天下を手に入れる遥か前に倒れた大名・武将もいるかもしれない。
今川義元が尾張侵攻の大儀を文言で残さなかった以上、どちらも完全否定は出来ないのである。
或いは尾張侵攻は純粋に尾張を領国にする目的の進軍ではあったが、成功の暁には、さらに美濃、近江、山城へ進んだかもしれない。
天下を望んだか望まなかったかで尾張侵攻の大儀を図るのは困難だと思う。
 
 
と、ここまで書きましたが…。
これも、あくまでも「説」です。
歴史に於いて、真実は一つであると思う。
とは言うものの真に事実を後世に伝えるのは難しい。
後世の人間がそれを解明するのは、更に難しい。
我々は幾つかの残された材料(文献・伝承・遺物等)から憶測・推察を重ねていくに過ぎない。
10年後には全く異なった説が真実の事として流布するかもしれない。
今のところ。
今川義元は足利幕府の中興の為、京へ向かい、その途上桶狭間で討たれたと伝わる。
但し、それを証す史料は無く、現在の研究では尾張を自領とする為に自ら大軍を率いて尾張に入ったとられつつある。
と、いった解説が妥当なところだろうと思う。
 
 
 

 <<参考文献>>          『信長公記』 角川日本古典文庫(角川書店)
『信長記 上・下』 古典文庫(現代思想社)
『織田軍記』 (早稲田大学出版部)
旧参謀本部 [日本の歴史] 桶狭間・姉川の役』 徳間文庫(徳間書店)
『尾張國誌(復刻改定版)』 (東海地方史学協会)
『群書系図部集 第四』 (続群書類従完成会)
『今川氏の研究』(小和田哲男:著/清文堂出版)
『今川氏家臣団の研究』(小和田哲男:著/清文堂出版)
 
 
 

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