尾張の神社と言えば、真っ先に思い浮かぶのはやはり熱田神宮。 三種の神器のひとつ草薙剣が納められているという。 大和武尊の白鳥伝説も残る地。 戦国史に於いては・・・事に信長・利家のHPとしては桶狭間の戦いの折、 ここに終結し戦勝祈願をしたという逸話が思い浮かぶ。 たった五騎の小姓(佐脇良之、岩室長門守、長谷川橋介、山口飛騨守、加藤弥三郎)を引き連れて飛び出した信長。 大手門で柴田勝家らと合流、熱田の宮に赴き他の者達の集まりをまった。 そして熱田の宮で戦勝祈願をしたという逸話も幾つか残る。 熱田の豪商加藤順盛(加藤弥三郎の父である)も応援に駆けつけ菓子を差し上げる。 宮で神酒を頂戴し、加藤順盛が酌をする。 ここですかさず信長の一声「今日の戦は勝とう(加藤)」。 両方表の銭を投げ「表が出たら勝ち、裏が出れば負け」と願を掛け、もちろん表がでて神のご加護アリと皆の士気をあげさせた。 今回の「利家とまつ」では白鳥を飛び立たせた。(ハクチョウではなくシロトリである)。 白鳥伝説は大和武尊が白鳥に姿を変えて契りを交わした熱田の姫に会いに来たお話。 つまり熱田の白鳥は武神なのです。 まぁ、どこまでがホントでどこからが作り話なのか・・・それはココでは問題ないのですが、兎も角、ここで信長が戦勝祈願を したと伝えられています。 そして討死覚悟と思われていた戦いに勝利。 当然、信長は熱田の神様にお礼をします。 それが土と瓦で出来た熱田の塀。 信長塀と呼ばれるものです。 大部分は失われていますが、一部、そのまま今でも残されています。 もし皆さんも熱田に行かれることがあればひっそりたたずむその塀を探してみてください。 400年以上前に信長によって奉納された塀なのです。 ですが・・・! 悲しい事がございます。 熱田神宮の信長塀。 離れてみると古いながらも立派なものです。 もちろん手で触れることもできます。 触れてみてください。 近くで見ると一面、落書きビッシリ・・・ いや、落書きという生易しいものではございません。 信長塀は瓦と土で出来ています。 その瓦にビッシリと名前や年月が刻まれているのです。 ペンで書いた落書きと違い瓦に刻まれた文字は二度と消せません。 瓦という瓦、隙間なく・・・ 名前、名前、名前、相合傘、誕生日、I LOVB XXX…名前、名前、名前、名前、名前、 刻まれている年月もココ20年以内のものばかり。 昭和後期か平成・・・1980以降のもの・・・ これは信長塀です。 これが信長塀です。 400年間、風雨に晒されながらも守り続けられてきた文化財は たった十数年で無残な落書き壁に変わり果てました。 |