マイナー武将列伝・織田家中編 




 服部春安 
 はっとり はるやす 
 生没年   ?〜1560     主君・所属   織田信長 
主な活躍の場  桶狭間の戦い 
 
 服部采女正春安。  服部小平太として呼ばれた名の方が有名か。
 桶狭間の戦いで今川義元に最初に槍をつけた男であるが、逆に膝を斬られ負傷してしまう。  今川義元の首は毛利新介がとった。
 織田信長は義元の首こそとれなかったがその武功を讃え毛利新介と同等の評価をしている。
 その後の織田家中での活躍はさっぱり伝わっていない。
 馬廻ではあったようだが。

 服部姓の武将の名は他にも幾人かみられる。
 服部といえば有名なところで隣の国三河では服部半蔵正成がいる。
 尾張にもその縁戚に当たる武将もいるようだが、この服部春安がそこに繋がるかは不明。
 ただ、織田家の一族と伝えられているから、織田とは何らかの縁があるようだ。

 本能寺の変以降は羽柴秀吉に従う。
 秀吉の黄母衣衆に抜擢され小牧長久手の戦い、小田原の陣などに参戦。
 織田家中の時代より秀吉麾下の頃の方が活躍しているようだ。
 伊勢松阪城主となる。
 文禄四年(1595)関白豊臣秀次の失脚に連座して改易。
 上杉景勝に預けられのち切腹している。

    秀次の事件は冤罪といえなくもない。
    それに連座し処断された人々は ほとんど濡れ衣を着せられたようなものある。
    容疑者とされた武将の中で罪を免れた人、処断された人の差はその人物の、
    人脈・政治力にあると思う。
    いかに事実無根のいいががりをはねのけることが出来るだけの後盾や発言力が
    あったのか。
    この頃から、武将はただ力技や戦の技量だけでは生き残れなくなっていたのだ。
 

  補足   
  *  毛利新介 −−− 実名良勝。  桶狭間の戦いで今川義元を討ち取る。マイナー武将列伝「毛利良勝」参照。




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