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   小説等で尾張の兵は弱かったと書いてありますが、本当に弱かったのですか?
 
 

   
 
わかりません。
本当に弱いか強いのか…比較検討するに十分な史料を持ち合わせておりません。
「尾張の兵は弱かった」という趣旨の事を書かれた小説・解説本は複数読んだ事があります。
少なくとも、そう捕らえている人があるという事でしょう。
 
ただ、懸念に思うことは、皆一様にして「尾張は豊かだったから弱かった」としている事です。
 
織田信長の尾張統一と全国制覇の要として、その基盤の強さが挙げられます。
織田信長の父信秀は、当時尾張で有数の寺社門前町であり港町であった津島や熱田を支配地とした事により、
そこからの税によって財力が潤い、守護・守護代を凌いだと言われています。
故に農村から過酷な税をとらずとも良く、農民は命掛け村を守ろうという気力に欠ける。
また商業が発展した事により利益不利益の判断に敏く負けそうになると直ぐ逃げる。
そういった事柄から「尾張の兵は弱かった」と結論つけてます。
 
…果たしてそうなのでしょうか?
 
私は「尾張の兵は弱かった」と決定付ける文献・資料がみつけられません。
ネットで検索しても、その理由付けは上記と似たり寄ったり。
その実証として、美濃一国を落とすのに多くの時間と兵を費やした。
侍ではない一向一揆を抑えるのに多大な被害を被った。
姉川の戦いでの徳川の兵との比較。
明治・大将時代、豊かな商業地出身の大坂や京都の兵隊も弱かった。
などが挙げられていますが、結局「初め尾張の兵は弱いという結論ありき」で理由付けをしている為、無理矢理感が拭えません。
 
国を落とすのは非常に難しいと思います。
武田信玄でさえ信濃を落とすのにどれだけ時間と兵を費やしたか?
一向一揆もただの農民集団ではなく武装勢力です。
当時、一般的な戦国大名の兵力は農民であった事を考えれば、武装した農民は大名の兵力と大差はありません。
戦国大名の兵力には雑兵のまとめとして侍が存在しますが、一向一揆にも侍や浪人が多数参加しています。
上杉謙信とて一向一揆には大変手をやいています。
姉川も単に徳川の兵の方が強かったという事でしょう。
またも負けたか八連隊(大坂)、それでは勲章くれんたい(九連隊・京都)と揶揄されていたようですが
八連隊・九連隊が連敗惨敗するなど、他の連隊に比べて劣っていたという訳では無いようです。
 
尾張が豊かといっても全ての農村が富裕していた訳ではないでしょう。
桶狭間の戦いは今川軍が尾張に侵攻した事で始まりましたが、今川は突然やってきた訳ではなく、
小豆坂の戦いなど、尾張と今川方で多数の戦を繰り返しており勝つ事も負ける事もありました。
決定的に「尾張の兵は弱かった」といえるものがない。
 
反対を考えて見ましょうか。
戦国時代で強いと評されるのは武田信玄の兵と上杉謙信の兵でしょうか。
ただこれは兵の強さよいも指揮官たる信玄・謙信の評価が強く出ているような感があります。
国別の兵でと考えると東北・九州が忍耐強く粘り強いゆえ、兵士としての力も高いと評される事が多いです。
確かにそれも一理あるかもしれませんが、「東北・九州が強い」から「豊かな土地の兵は弱い」という事にはならない。
 
ところがこの「東北・九州が強い」という評価によって、「豊かな土地の兵は弱い」と評される理由が見えてくる様な気がする。
 
 
贅沢な肉や果物ばかり喰ってる米国人が、質素な飯で忍耐強く凌いでいる日本人に勝つ訳がない。
毎晩パーティ開いて騒いで育った米国人には、日本人ほどの根性は無い。すぐに音を上げる。
分厚い鉄板や救命具に守られた米軍機の乗組員は命を惜しみすぐ逃げる。
そんな評価で敵を見下し敗れた時代が日本にはありました。
 
戦に勝つか負けるか?強い兵が生まれるか否かは国の貧富には左右されないと思う。
兵の力を挙げるため、如何に鍛錬するか。
武器・防具を如何に優れたものを装備するか。
忍耐強い方が、その準備過程においては有利かもしれないが、それが全てではない。
忍耐力で勝つと信じた思いが、贅沢は敵、豊かさは弱さ、富は命の惜しみと信じる結果になり
「尾張は豊かだから、そこで育った兵は弱かった」という意識が植え付けられたのだろうと感じます。
 
 
 
 
 
 
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