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   長篠の戦で鉄炮の三段撃ちはあったのか?
 
 

   
 
昨今の歴史の流れでは鉄炮の三段撃ちは否定的です。
 
ただ、決定的に否定される文献はありません。
現状は 
 ・ 鉄炮の三段撃ちを行なったと決定付ける一級史料がない。
 ・ そもそも「鉄炮三段撃ち《がどういった撃ち方か定義づけされていない。
 ・ 現在一般的に流布している「鉄炮三段撃ち否定の証拠《は証拠として成立要件を満たしていないものばかりである。
と、いう事です。
 
        (『信長公記』では鉄炮と表記されている為、鉄炮と表記しましたが、鉄炮=鉄砲です。)
 
 
つまり私としては、この問いに対しては 
完全には否定できませんが、昨今の歴史の流れでは鉄炮の三段撃ちは否定的です。
ですが鉄炮の三段撃ちが本当にあったという確証もありません。
ただ鉄炮の三段撃ちが本当にあったという史料がみつからない限り、否定論の方が有利と感じています。
と言ったところです。
 
 
 
鉄炮の三段撃ちに関して『信長公記』では、その記述がみられません。 
 
 
  信長は家康陣所に高松山とて小高き山御座候に取上げられ、敵の働きを御覧じ、 
  御下知次第働くべきの旨兼てより堅く仰含められ、鉄炮千挺ばかり、 
    佐々蔵介・前田又左衛門・野々村三十郎・福富平左衛門・塙九郎左衛門、 
  御奉行として近々と足軽懸けられ御覧候。 
  一番、山県三郎兵衛、推太鼓を打つて懸り来たり候。鉄炮を散々に打立てられ引退。 
  二番に正用軒(逊遙軒)、入替、かゝればのき、退ば引付き、御下知のごとく 
  鉄炮にて過半数うたれては其時引入るなり。 
  三番に西上野小幡一党、赤武者にて入替り懸り来る。 
  関東衆馬上の功者にて、是又馬入るべき行にて、推太鼓を打つて懸り来る。 
  人数を備へ候身がくしをして、鉄炮にて待請けうたせられ候へば、過半数倒され無人になつて引退く。 
  四番に典厩一党黒武者にて懸り来り候。 
  かくのごとく、御敵入替へ候ども、御人数一首も御出しなく、鉄炮ばかりを相加へ、 
  足軽にて会釈、ねり倒され、人数をうたせ引入るなり。 
  五番に馬場美濃守、推太鼓にてかゝり来り、人数を備へ、右同前に勢衆うたれ引退く。 

 
                            『信長公記』 太田牛一著 (角川日本古典文庫)より
 
 
この戦の勝敗が鉄炮の存在によって決定付けられた事は十分うかがえる程の描写ですが 
「鉄炮三段撃ち《といった表現がありません。
 
次に『甫庵信長記』の同様の部分。ここで「鉄炮三段撃ち《らしき表現が出てきます。  
 
  信長公先陣へ御出あつて、家康卿と御覧じ計らはれ、兼て定め置かれし諸手のぬき鉄炮三千挺に、 
  佐々蔵助、前田又左衛門尉、福富平左衛門尉、塙九郎左衛門尉、野々村三十郎、 
  此の五人を差添へられ、敵馬を入れ来たらば、際一町までも鉄炮打たすな。 
  間近く引き請け、千挺づゝ放ち懸け、一段づつ立替り〱(々)打たすべし。 

 
                            『信長記』 小瀬甫庵著 (現代思想社古典文庫)より
 
 
敵を間近く引き付け、千挺づつ撃ち放ち、一段づつ交替して撃つべし。
「鉄炮三段撃ち《の根拠はこの『甫庵信長記』からと言えるでしょう。
『甫庵信長記』は『信長公記』に比べ歴史書としての史料価値は格段と低い。
『信長公記』よりも詳細に描かれているものの、その詳細部分に脚色が多いとされています。
『信長公記』には無く『甫庵信長記』にのみ記載された部分の根拠が薄い為です。
この「三段撃ち《に関しても、何故、『信長公記』には記載が無かったのか?
「鉄炮三段撃ち《が『信長公記』の作者太田牛一が敢えて描かなかった描写、或いはその意義に価値無しと 
切り捨てた描写でったとして小瀬甫庵が自身の調査で「鉄炮三段撃ち《に価値を見出し付け加えたのであれば、 
「鉄炮三段撃ち《は史実であったといえる。
だが小瀬甫庵の評価は歴史作家であって歴史研究家ではないのが現状である。
 
私の「鉄炮三段撃ち《に対する評価はこの点に由来する。
『信長公記』をはじめ一級史料にその描写が残っていないこと。
故に信憑性は低く見ざるを得ない訳です。
もちろん『信長公記』が全てを網羅している訳でもなく、誤りが無い訳でもない。
小瀬甫庵が『甫庵信長記』を寄稿した時点で、「鉄炮三段撃ち《は公然の事実として知れ渡っていた可能性もある。
戦の参加者が親族知人に語り広まった可能性も。
それを裏付ける文献、或いは否定できる文献が見つかれば「鉄炮三段撃ち《が小瀬甫庵の創作か否かが明確になると思う。
 
さて。
先に「鉄炮三段撃ち否定の証拠《は証拠として成立要件を満たしていないものが多いと書きました。
 何故なら殆どの「鉄炮三段撃ち否定の証拠《は映画やTV、コミックに於ける描写を否定しているのであって
『甫庵信長記』の記載事項を検証している訳ではないからです。
 
例えば 
 ・大勢の鉄砲衆がこれを行なうのには熟練がいるのではないか? 
 ・熟練していても玉・火薬の装填は有る程度の時間が必要。 
  一巡する間に武田の騎馬は織田の陣地へ到達してしまうので繰り返しは上能では。 
 ・鉄砲を立て続けに撃っては硝煙で前が見えなくなり、狙いも定められない。 
 ・こんなに密集していては鉄砲の火花で味方が火傷する。 
などなど。 
 
しかしよくよく考えればそれらは全く問題にはならない事がわかると思います。
その問題点に対しての対処をしておけば良いのであって、映画等では対処をせず描いているだけのことだから。
 
ひとつ感心したのは「一巡する間に武田の騎馬は織田の陣地へ到達してしまうのか《試した方がいらっしゃいました。 
    (単行本か雑誌か…読んだ資料を、当時控えておらず、詳細や出典を忘れてしまいました。)
 
その実験では二段目が撃ち終わり三段目が撃ち始める間には武田勢の先頭は柵に到達してしまうという結果がでた様です。
ただし、三段の組み方を工夫すると、三段目までは撃てるそうです。
    (射手を三段にするのではなく、射手・清掃組・弾込組と三組にする)
この場合、三段撃ちは成功しますが、そこで終わってしまう可能性があります。 
しかし、先頭の武者達は三連射により被弾する可能性が非常に高いので、次の集団には十分、間に合う事でしょう。
その場合の実験まではなされていなかったのが残念ですが…
 
3000挺1000組(或いは1000挺333組)の狙撃手にどうやって号令をかけるのかという問題も指摘される。
  (↑『信長公記』の三千挺の記載部分には後から「三《を加えたもので、 
    「書き間違いに気づき追記訂正した《「本当は千挺なのに故意に書き加えた《と 
     二通り考えられる為、3000挺・1000挺の二説が存在します) 
一斉射撃と言えども数秒も違わず撃ち放つというのであれば難しいかもしれない。
だが、武田勢も設楽原全体に横一列になって攻めてくる訳ではないだろう。
一番攻めた易そうな箇所、突き抜け易い部分を狙って突進してくると思われる。
当然、撃てと命令が出ても目の前・射程内に誰も居ない箇所も出てくる。
戦線の火蓋が切られたらあとは各柵毎の指揮に委ねられるのが常套だろう。
当面、50組、100組、と言った集団で号令をかければ良い。
最初の一発は敵や馬に威圧をかける為に、あたらぬ前提での一斉射撃も有効かもしれない。 
 
また、こうも考える。 
「三段目が撃ち始める間には武田勢の先頭は柵に到達してしまう《と、もう鉄砲は撃てなくなってしまうのか?
 
否。 
馬防柵がある。 
 
馬防柵がある限り、柵の向こうに控える鉄砲隊は切れない。 
馬も柵の手前で静止するなり向きを変えるなりの行動を起こすと考えられ、より狙い撃ちされやすくなる。 
さらに更に大量の鉄砲から発生する発火の煙は柵の前後で充満し、視界も遮られる。 
鉄砲が途切れても煙の向こうから槍が付きだしてくるので、容易に柵に近づけないだろう。 
そうする内に次の鉄炮発射の準備が出来上がってしまう。 
 
騎馬武者とその周りを囲む足軽は主従関係にある。 
騎馬武者が討たれた場合、頸を取られては為らじと、主の遺体を自陣へ戻さなくてはならず、攻めより守りの姿勢になる。 
馬防柵の前で立ち止まらざるを得ない者も増え、斉射によってさらに攻め難くなるだろうと思われる。 
 
 
そう考えると…
つまり「全鉄砲隊一斉射撃による鉄炮三段撃ち《という映画・小説の方式ではなく、 
「各小隊毎の鉄炮三段撃ち《であれば、十分可能であり、且つ有効ではないか?
 
『甫庵信長記』の「全鉄砲隊一斉射撃による鉄炮三段撃ち《の様な劇的なシーンではなく
各柵毎の「各小隊毎の鉄炮三段撃ち《であったとすれば、太田牛一が『信長公記』に細々とした描写を
描かなかった可能性も見えてくる。
 
 
 
『甫庵信長記』による「鉄炮三段撃ち《の信憑性が低いながら、完全に否定しないのは
そういった可能性がまだまだあるからです。
昨今の新刊書やネットなどでは「鉄炮三段撃ちは偽りである《という事が公然の事実であるとして
「鉄炮三段撃ち《を論じる側を攻撃する事が良く見受けられます。
他説を否定するのは仕方が無いとしても、小馬鹿にした論調も少なくない。
我々はどんなに頑張ってみても、タイムマシーンが出来ない限り、歴史の中に絶対的な真実を見出す事は出来ない。
ゆえ、自己の見解と異なる意見・主張であっても、一意見・一説として尊重する心構えが大切かと思います。
 
 
 
 
  引用文献: 
 『信長公記』 太田牛一 著 (角川書店刊・角川日本古典文庫) 
 『信長記』上 小瀬甫庵 撰 (現代思想社刊・古典文庫)
 
 
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     (2008.4.6 / 2020.11.16訂)
 
 
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