信 長 の 子 供 達 




 織田信貞 
  おだ のぶさだ 
 生没年   1574〜1624   信長の九男 
幼名・別名・官職 幼名=人。藤四郎。雅楽助、左京亮。  生母 土方河内守雄久の娘 
 
 母は土方河内守雄久の娘とされるが『織田家雑録』では青山某の娘とされている。
 
 埴原加賀長久に養育を受ける。
 豊臣秀吉の馬廻衆となり近江神崎・蒲生で千石の所領を与えられる。
 関ヶ原の合戦では兄信高とともに東軍に参加を決意。
 実際には参陣間にあわず凱旋中の家康に拝謁、本領を安堵される。
 安房朝夷の所領もあわせ二千石。
 その子貞次、貞置は旗本として幕府に仕えた。
 
  末裔   
 二男二女。  高家として幕府に仕える。(近江神崎・蒲生で七百石)
 他に旗本家あり。(近江神崎で三百石)




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