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天文十六年(1547)
織田信秀(信長の父)は那古屋に拠点を移してからさらに尾張の覇権を目指した。
すでに尾張の守護斯波氏の地位も失墜し、替わって実権を握っていた守護代織田伊勢守家・大和守家をも
凌ぐ勢いである。
事実、信秀は大和守家の奉行の身でありながら大和守家に従っていた国人達はみな信秀の元に集っていた
ようである。
それまで松平・今川勢力に蝕まれていた土地を取り戻し、逆に三河へ攻め入る。
最盛期には安祥城を落とし庶長子信広を城主に置いた。
また北の美濃斎藤氏へも散々攻め入り、(毎回のように敗れ逃げ戻ってはいるけれども)かなり斎藤道三
を煩わさせている。
その斎藤道三の娘帰蝶を嫡男信長の正室として迎える盟約を築き、信秀の目は尾張の完全制覇へと向いた
ことであろう。
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