相如顧召趙御史 書曰 某年某日 秦王為趙王撃



 それからしばらくして秦は同盟を破棄し趙へ兵を進めた。

 もちろん秦の優勢はいうまでもなく、その翌年もさらに秦は趙を攻める。

 その後、講和の使者がたてられ秦王と趙王は会見することとなった。

 秦の講和の意図は単に平和のためではなく先の「和氏の璧」の一件でのいやがらせでもあり 趙王に恥をかかせ無理難題をふっかけようとするものに違いない。

 また会見に乗じて趙王を拉致することもあり得る。

 そこで趙王は会見に藺相如を連れていくことにしたのである。


 秦王と趙王の会見は−−−と言っても会談する議題などもあるわけではない。

 酒宴は進み、秦王は趙王に対し瑟(しつ−−−琴に似た二十五弦の楽器という) を弾いてくれるよう所望した。

 余興と言ってしまえばそれまでであるが、一国の王が酒の肴の為に一国の王に音楽を弾かせるのである。

 弾く方にとっては屈辱以外のなにものでもないであろう。

 趙王は丁重に断ったが、の会見は秦王はしつこく迫る。

 ついに趙王は瑟を弾くこととなった。

 会見には記録を取る御史がついている。

 秦王は上機嫌でこれを記録に取るように命じた。

 曰く

 某年某日 秦王、趙王と会飲し 趙王に琴を鼓せしむ。

 

 今度は趙王の傍らから藺相如が進み出る。

 秦王は秦の歌をうたうのがお上手と聞いております。

 どうかお聞かせ下さい。

 秦の歌は鉢や瓶などを敲いて歌うと言われている。

 藺相如は盆(素焼きのはち)と(素焼きのかめ)を秦王に差し出す。

 もちろん、秦王が応じるわけがない。

 藺相如は秦王の側までを差し出すと秦王を脅すようなことを言う。

 私と秦王との間はわずか五歩の隔たり。

 藺相如が身を捨てて掛かれば秦王の首を取ることも出来る距離である。

 秦王を渋々を一つ、ぽんと敲いてみせた。

 すかさず、藺相如は御史に記録を命じる。

 曰く

 某年某日 秦王、趙王の為にを鼓せしむ。

 

 

 この後も、藺相如はすべて秦王と対等に渡り合い趙王は大いに面目を施した。  この会見を催された地名から池の会(べんちのかい)と呼ばれる。

 

 

 

 

  卒相與驩 為刎頸之交

 

 

 秦の厄災から趙を救った藺相如は上卿に任ぜられた。

 当時の趙の官僚は卿・大夫・士の三職があり卿が上位にあたる。

 さらにそれぞれ上・中・下の三階位に分かれていた。

 つまり藺相如は趙臣の最高位まで上り詰めたのである。

 

 これを快く思わない人物がいた。

 廉頗である。

 廉頗は武人で趙きっての名将である。

 先の二度のわたる秦の侵攻をなんとかくい止められたのも廉頗の力によるものも大きい。

 戦功を重ね出世してきたこの将軍は藺相如の登場までは趙臣の最高位であった。

 

 我為趙将 有攻城野戦之大功 而藺相如徒以口舌為労 而位居我上

 

 自分は趙の将として城を攻め、野に戦を重ね大功を得てきた。

 藺相如という輩は口先だけの労で我より上位に就いた。

 廉頗にとって面白いわけがない。

 藺相如に出会ったら必ず辱めてやる。

 廉頗はそう吹聴した。

 

 これが藺相如の耳にも入り、藺相如は廉頗を避けるようになる。

 廉頗が朝廷に出仕する日は仮病を使って休み、廉頗のいない日のみ出仕した。

 

 ある日、藺相如が路で車を走らせているとき、遠くに廉頗を見かけた。

 藺相如は急いで車をもどさせて物陰に隠れた。

 ここまでくると藺相如の家臣達の口から愚痴もこぼれる。

 

 なぜわが君は隠れるのですか。

 廉頗様は悪言をつき、わが君はそれにただ畏れて逃げ隠れて甚だしい。

 こんなことは並の男でも恥じるべき事なのに、ましてわが君は大臣の身です。

 

 そんな家臣に対し藺相如は尋ねた。

 お前達は廉頗将軍と秦王とどちらを畏れる。

 家臣達はもちろん秦王であると答えた。

 藺相如は言う。

 私は秦王さえものともせず、秦の宮廷にて怒鳴りつけ、秦の群臣達にも恥をかかせた。

 そんな私がなぜ廉頗将軍ひとりを畏れましょうか。

 私はこう思うのです。

 あの秦王がこれ以上趙を攻めあぐねているのは、私と廉頗将軍の二人が趙にいるからこそ。

 私と廉頗将軍が争えばどちらかが失脚してしまいます。

 国家の存亡の事を第一と考え私怨を後回しにしているからこそ、私はこんなぶざまな事を耐えているのです。

 

 この話はすぐに廉頗にも伝わった。

 廉頗は大いにこれを恥じ、自ら荊の木を背負い肌脱ぎし藺相如邸へ赴き謝罪した。

 

 廉頗之聞 肉袒負刑 因賓客至藺相如門 謝罪曰 鄙賤之人

 不知将軍寛之至此也 卒相與驩 為刎頸之交

 

 二人は和解し、ともに首をはねられようとも後悔せぬ交わりを誓い合った。

 これをして刎頸の交わりという言葉が生まれたという。



 





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