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道家清十郎。 弟は助十郎。
尾張守山の住人。
森可成の家臣、または与力と見られる書もあり。
東美濃の高野口での武田方との戦いにおいて清十郎・助十郎の兄弟で功名を得る。
森可成と肥田玄蕃が先駆けにて山中谷間にて掛かり合い、敵首三つ取る。
信長は大いに喜び、兄弟が指していた白い旗指物をとり、自筆で「天下一の勇士なり」と書いた。
(『甫庵信長記』・『織田軍記』によれば「無双道家」、
『織田真記』は「天下一の勇士なり」)
非常に名誉なことと讃えられている。
そしてこれが兄弟の旗指物となり以後も使用を許された。
元亀元年(1570)、近江宇佐山での戦いでも、この旗指物を持ち闘った。
前後手柄を尽くしたが森可成と共に兄弟揃って討死してしまった。
先に書いたように守山(名古屋)の住人であるが、一説に美濃の道化(ママ)六郎左衛門の子ともいう。
しかし清十郎・助十郎の父は道家尾張守といって早くから織田信秀に仕えていたと書かれた文献もある。
六郎左衛門とは同族の可能性はあるが親子ではなかろう。
道家姓の始まりは「其祖先事光明峯寺道家賜名字称道家」とある。
美濃・尾張・三河の租の徴収に携わる家柄であったが尾張守の頃には没落していた。
清十郎・助十郎の頃には表立って尾張守を名乗れず、単に尾張としていたとも。
(『織田信長三十六功臣』浅野清著)
今も守山とその周辺に道家姓の方がみえる。
ゆかりの家であろうか。
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