織田源三郎信益。 信長の一門衆。
十郎左衛門信清の弟で信長の従兄弟にあたる。
一説には信清の二男という。
織田信秀死後は犬山城で半独立した勢力を構えていたが、尾張上四郡の守護代への対抗のため兄・信清と
ともに信長の元に結束。
守護代織田伊勢守を浮野の戦い・岩倉城攻略でも信長を支援し敗る。
永禄五年(1562)美濃攻めににも参加。
美濃攻めの為、墨俣に橋頭堡を作ることを手がけた信長は佐久間信盛を指揮官して砦築城工事をはじめる。
砦築の前衛となる十九条砦に守将として入っていたが、大雨で川が氾濫、尾張側からの援軍が不可能と
見て取った美濃の斎藤龍興配下の長井道利・日根野弘就は十九条を攻撃する。
しかし信長は自ら援軍を率い渡河に成功。 十九条の北、軽海で両軍は激突した。
信長の決死の援軍に感動したのか信益は先陣を願い出る。
斎藤龍興軍の一陣を撃破。 第二陣と交戦中、野々村三十郎の手に掛かり討死。
軽海の戦いは夜半まで続き、どちらともなく兵を引き終わる。
墨俣築城工事は失敗を繰り返すも成功、のち羽柴秀吉の「一夜城」の逸話が残る。
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