武将列伝番外編・女性列伝・三条夫人 




 三条夫人 (三条公頼女) 
 さんじょう  
 生没年   1521〜1570   主君・所属   三条公頼の娘・武田信玄の正室
 
 
 武田信玄の正室。
「三条夫人」と書きましたが「三条公頼の娘」ということで「三条」という名であったわけでも「三条氏の夫人」 という意味でもないです。
 女性の場合、名が残らぬ場合が多い。
 出家後の院号が残ればいい方か。
 従って便宜上、生家の姓で呼ばれたり父の名に女(注意:娘の意味)と表現されることが多い。
 実名が伝わっているのかもしれませんが、調べられなかたのでこのまま三条夫人とします。
 小説やドラマでもこのまま三条夫人とされるのが多いようにも感じますので。
 わかればまた追加しますのでご容赦。
 
 三条公頼の娘。三条家は藤原氏系の名門。
 京の公家の大部分は藤原氏系なのではありますが三条家はその中でも名門中の名門。
 公家が上り詰める最上位は摂政・関白の位。
 この摂政・関白には能力があれば就くことができるという訳ではなく、家柄次第となる。
 摂政・関白に就けるのは近衛・九条・一条・二条・鷹司の五家であり、これを五摂家という。
 これについては学校で習いますね。(まだの人は予習ね。)
 さて、摂政・関白に続く以下の位も実は家柄で就ける就けないが決まってしまっているのです。
 太政大臣・左右大臣に就くことができるの家は清華七家といい、その内の一つが三条家。
 三条公頼は左大臣であった。
 さらに三条公頼には3人の娘があり三条夫人には姉と妹がいる。
 姉は細川勝元夫人、妹は本願寺の顕如の裏方(夫人)。
 武田家も甲斐の国主、代々守護の家柄とは言え京からみれば片田舎の大名にすぎず、この婚姻は 良家のお嬢様が田舎の地主の家に嫁いだようなものであろうか。
 
 さて。この婚姻が結ばれたのは天文五年。
 武田信玄は数えで十六歳という。
 現代では若すぎるようにも思えるが、当時としては十分、適齢期。
 三条夫人は一つ違でこの時十五歳。
 天文五年(1536)には嫡男、義信を産んだ。 天文七年(1538)とも。
 以降、竜芳(竜宝)、信之、長女黄梅院を産む。
 
 と、ここ迄は順風なようにも思える。
 しかし、竜芳(竜宝)は盲目であったと言われ、武士としては育たず僧籍に入る。
 また信之は十歳にして早世。
 正室というのはもちろん字の如く主の正式な夫人である。
 側室に比べて上位にあることはもちろんであるし、家臣たちもそれ相応に接する。
 だが、主が死んだらどうなるか?
 正室の子が嗣げばなんら問題はなかろうけれども、そうでない場合、それは世継次第とも言えよう。
 先代の正室と、今の主の生母。
 微妙な関係であろう。
 
 もちろん、母としては実子への愛情と慈しみは計り知れないものでもあろうが、この当時は 単に愛情だけではすまされぬものもあるであろう。
 庶子が跡を嗣げば先代の正室なぞ煙たい存在でもあろうし、自分の老後、僧籍に入った竜芳の行く末にも 影響はでてこよう。
 今一人の男子、嫡男義信は三条夫人の愛情を一身に受けて育てられたのであろう。
 
 当時、甲斐の武田、関東の北条、駿遠の今川は互いに姻戚関係を結び不可侵同盟を結んでいた。
 武田信玄の姉、定恵院が今川義元に嫁いでいたのである。
 永禄三年(1560)桶狭間の戦。
 その今川義元が討死し、武田今川の姻戚関係が途絶えた。
 その為、今度は今川義元の娘を義信に娶らせ姻戚関係を維持させた。  だが、時勢は変化し武田信玄は駿河へ侵攻を決めた。
 義信はこれに反対し幽閉され自刃してしまう。
 永禄十年(1567)のことである。
 永禄十二年(1569)年には今川氏政に嫁いでいた黄梅院が離縁。
 その後、死去してしまう。
 
 この後半生の暗転。
 三条夫人の胸中はいかなるものであったのだろうか?
 彼女もまた戦国の世という時代に翻弄された一人ではないでしょうか。
 
 翌、元亀元年(1569)7月、彼女もその生涯の幕を閉じました。 
 
 
 さて、武田家の女性陣にはエピソード等がとても多く、数々のドラマや小説が生まれています。
 中でもやはり際だつのが信玄と諏訪御寮人とのドラマでありましょう。
 諏訪御寮人は信玄に攻め滅ぼされた諏訪頼重の娘。そして武田勝頼の母である。
 その数奇な運命は武田家のドラマの華といえよう。
 その反面、三条夫人は諏訪御寮人のカタキ役のような位置を求められつづける彼女。
 なにかと不遇な表現をされがち。
 なんだかよけいに悲哀感を持ってしまいます。
 
 余談とはなりますが、先日、皆川博子女史の「戦国幻野」という小説を読みました。
 これは今川義元を主人公にした小説ですが、ここにちらりと三条夫人が登場します。
 あくまでも「ちらり」とですが今川義元の運命にとってはとても重要な役割。
 もちろん、小説ですから史実もそうだ等と考えられるはずもありません。
 が、信玄正室という面でしかドラマ・小説に登場しない彼女の別の一面をかいま見ることができたような 気がしてやや満足。
 余談、終わり。

 
 
 
  補足   
 号は円光院殿梅岑宗□大禅定尼
    □=表示できず
 
     
 号は円光院殿梅岑宗□大禅定尼
    □=表示できず
 



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