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冷泉隆豊。 隆祐。 左衛門尉。 冷泉下野守興豊の嫡男。
大内義興・義隆の二代に仕える。
冷泉と言えば公家(藤原氏)や村上源氏の冷泉氏が有名であるが、直接のつながりではないらしい。
興豊の母方の縁で冷泉氏を名乗っている。
元は多々良氏の出自のようである。
和歌などにも堪能していたというから、名ばかり公家風というわけでもない。
もちろん、公家かぶれでもなく歴とした武将である。
仁保島、大根島など歴戦。
天文二十年(1551)、大内氏の家老陶隆房(晴賢)の謀反によって義隆は敗走する。
大内氏配下の家臣国人達の大半は陶方についたり離反していったのだが、
隆豊は最後まで義隆に付き従った。
義隆は大寧寺で自刃するが、これを隆豊が介錯した。
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